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マンスリーみつびし 三菱広報委員会 www.mitsubishi.or.jp |
大学卒業後、バンドをやっていた仲間たちと共に、ビッグバンドを結成。その後20年近く、ライブのステージ活動を続けてきました。社会人のジャズバンドではありますが、常にお客さまのことを考えながら、プロの気分で演奏することに、喜びを感じています。
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御子柴秋彦(みこしば あきひこ) 明治生命 介護ネットワーク部 介護ネットワーク業務グループ グループリーダー/43歳 |
「仕事では落ちついて話せますが、″この話″になると、もう夢中になって、ダメですね」
そう言って御子柴さんは、取材中、何度も恐縮していた。″この話”とは、ジャズのビッグバンドのこと。社会人ビッグバンド<ハイライトオールスターズ>のメンバーである御子柴さんは、バンド活動を、もう20年近くも続けているのだ。ビッグバンドは、ジャズバンドの中で最も人数が多い。構成はトランペットとトロンボーンが各4〜5人、サックスが5人、ピアノ、ベース、ドラムが各1人と、総勢16〜18人。
「私の担当はテナーサックス。ビッグバンドのサックスは、アルト、テナー、バリトンが主ですが、テナーにしたのは、ソロでの出番が多いからなんです」
御子柴さんたちは、隔週土曜日、都内の貸しスタジオに集まって練習をする。年2〜3回の定期ライブなどを開催するためだ。
「これで生活をしているわけではありませんが、気持ちはプロです。わざわざライブに来てもらつた方を飽きさせないよう、曲の進行には特に気を使っています。お客さまのノリがよくないときにはワザと大きな音を出してみたり、外を救急車が通ったりすると、その音を真似てみたりとか(笑)。その場に応じて、どんどんアドリブを入れていくんです」
絶対音感の持ち主 御子柴さんは、幼いころ音楽教室に通っていて、すべての音の高さを正碓に聴き分け、先生に驚かれたという。そう、彼は「絶対音感」の持ち主なのだ。
「小学校でも、最初は褒められたのですが、そのうち、しかられることのほうが多くなりました。『こっちの音のほうがいい』と言って楽譜を勝手に変えたりするからです。『授業の妨げになるからやめなさい』と先生に言われて(笑)。そのころからですね。もっと自由に音楽をやりたいと思い始めたのは・・・・」
その後、中学校では吹奏楽部に入部する。
「このとき、初めてサックスを手にしたんですが、意外と簡単に吹くことができたんです。先輩たちが『本当に初めてなのか!?』とびっくりしていました」
絶対音感に加え、楽器の才能も飛び抜けていたようだ。だが、型にはまった吹奏楽の演奏に物足りなさを覚えはじめた御子柴さんは、高校に入学すると、友人たちとジャズバンドを結成。次第にジャズの自由な世界へと引き込まれていった。
そのころ、大学のビッグバンドとして名高い <ハイソサエティオーケストラ>の存在を知り、猛然と受験勉強を開始したのだ。
「このバンドに入るため、大学へ行こうと思ったんです。学部とか学科は、二の次でしたね」
1976年、念願かなって入学。77年には、アメリカの西海岸で開催されたジャズフェスティバルに参加。78年、学生ビッグバンドの国内コンテストで最優秀賞を受賞。御子柴さん自身も最優秀ソリスト賞を受賞し、バンドと個人のダブル優勝を果たした。同年には、世界のトッププレーヤーが集うスイスのジャズフェスティバルからも招待を受けた。そのとき、日本から参加したのは御子柴さんたちと、もうひと組、プロのバンドだけだったという。

大学時代に華々しく活躍した御子柴さんだが、プロヘの道は考えなかったのだろうか?
「いや、ジャズの世界は、プロでもなかなか生活できないんです。それなら、一般企業に就職して、余った時間だけ、好きなジャズをやっていくことができれば、そのほうが楽しいはずと割り切りました」
今のバンドは、大学時代のバンドの仲間と、ライバルであった大学の有名バンドにいた人たちと、混成で結成したものだ。卒業後1年ぐらい経ったころ、どちらからともなく持ちかけて実現したという。
「社会人になってしまうと、演奏する機会がほとんどなくなりますから、皆、ウズウズしていたんでしょうね。それからもう20年・・・・。メンバーにも恵まれ、ずっと演奏を続けることができて、本当に幸運だと思っています」
現在、御子柴さんは介護関連の仕事に携わっていて、常に、お客さまの視点に立って考えることが求められている。それはジャズの演奏も同じなのだと、御子柴さんは言う。
「お客さまに必ず満足していただく こと。自分も満足し、お互いの喜び が何倍にもなるようなこと。そんな ことが仕事でも演奏でも、できれば いいと思っています。自分の演奏に 関して言えば、スローバラードのソロでクライマックスに向かうとき『あっ、お客さまが集中して聴いてくれているな』と分かるようなときが最高です。そんな演奏を、仲間たちと共に、今後もずっと続けていきたいですね」