“GOD BLESS THE CHILD”
BLOOD SWEAT & TEARS


jacket IMGブラスロックの祖、BSTはアリス・クーパーが1968年にブラスがばしばし決まるカッチョイイロックバンドをやりたいという趣旨のもと結成された。しかし、当のクーパーは1枚目のアルバム「子供は人類の父である」という名盤を録音してすぐに脱退してしまう。
残されたメンバーは、ブラス担当はほとんどジュリアード音楽院(マイルスも卒業)の優等生達で、クーパー亡き後、その趣旨を引き継ぎ、多少ジャズっぽい実験を取り混ぜながら、2枚目「血と汗と涙」を作った。ジュリアード組はジャズ志向だったが、この人たちは雇われで、クーパーの側近だったギターのスティーブ・カッツはブルース・プロジェクトというブルース・バンドの出。、ベースのジム・フィールダーは、バッファロー・スプリングフィールドやザッパのマザースといった変態ロックあがり、新加入のボーカル、デビッド・クレイトン・トーマスはカントリーの出。
このミスマッチが、若干のイモくささをかもしながら、このバンドはシカゴにその人気の座を奪われるまで、(BST3までかなあ)がんばる。

巷的には1枚目の方が名盤といわれ、やはりこのバンドはアル・クーパーのもの、という風評が強いが、ヒットしたのは2枚目。
私もまたまた、従兄弟のうちで中1の時に、これを最初に聴いた。

1曲めは、今聴くとクサイけど、エリックサティの「ジムノペティ」を3パターンの変奏曲でインテリなところを見せる。2曲目以降は、ノリノリのブラスロックサウンド。ドスコイ節とジュリアードのインテリ志向が混ざり合い、独特のアレンジで聴かせる。この辺のBSTブラスアレンジは、アメリカビッグバンドのアレンジにしばらくの間、根強い影響を与えていた。特にウディ・ハーマン。また「SOMETIMES IN WINTER」はニューヨークっぽいバラード。冷たい雪まじりビル風がマンハッタンを吹きぬける様が彷彿とする。フルートにミュートラッパのユニゾンアレンジは、この曲で学んだ。(もちろんクインシーの方が先だけどね)ジャズがこの頃、ビッチェスブリューやフリージャズのガチンコ方向へ進んでいたのに対し、このブラスロック・エンターテイメント路線は、また違うジャズのノウハウの進化系としてひとつの選択肢足り得た。同じコルトレーン派ユダヤテナーでもデイブ・リーブマンとスティーブ・グロスマンはガチンコ方向で、マイケル・ブレッカーはこちらだ。

ところで慶応ライトをはじめて聴いたのは、小学校5年生(1968)サンケイ・ホール。しびれた。しかし、小学生にはどうしたらいいかよくわからなかった。とりあえず、慶応普通部を受験した。
BSTはこのサンケイホールを思い出させてくれた。
なんかブラスがグチャッとわけのわからないハモで鳴ると、快感が走る。なんなんだこれは、という感じ。

「血と汗と涙」の中でも、とりわけ、GOD〜はインパクト強かった。イントロのゴスペル教会風ファンファーレはカッコ悪いんだけど、おもむろに引っ掛けてくる不良っぽいベースのフレーズと続けて出てくるレスリースピーカー接続ハモンドオルガンのハモのカッコよさは下半身が溶けそうになった。これがBbmaj7/Cという私が以降、ずっとしばられ続けるコードだった。
上を向いて歩こう」でその片鱗に触れ、BSTではまだよくわからず、キャロルキングで確信に至り、高校2年の時に友達の木下の家で、ピアノを弾いていて、Cmaj7を弾こうとして間違って左手でDを弾いてしまった時、飛びあがるように「これだ〜」と発見するコードだ。
歌が終わり、間奏部、突然ピアノがラテンを弾きだし、トロンボーンがソロをとった後、ブラスがリフを奏でてルー・ソロフがハイノートへかけ上がって行ってウラウラが決まった瞬間、4ビートになる。ルーソロフ、リフフレーズを引っ張ってそのままソロに突入。
ぐあーっカッチョイイ。動物的な強引さで持って行かれる。またラテン。また来るぞ。ブラスリフ。ウラウラ。
今度はフレッド・リプシウスのアルト・ソロ。オルタードでウネウネ。

これで決まった。私の楽器はアルト・サックスに決定。


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