私、こう見えても幼少の頃、バイオリンをやっていまして、いいとこのボンボンではないけれど、発表会で蝶ネクタイなどする、いけ好かないガキでありました。小6ぐらいから聴き始めた深夜放送から流れてくるPOPSに夢中になってから、バイオリンなどクソだと思ってやめてしまったのだが、中3ぐらいからバイオリンの先生に説得されて、またやり始めた。高校にはいって、今度は友達に説得され、オーケストラのクラブに入ったのだが、ここがイヤなところだった。73分けの長髪をかきあげながら、「ヤンパラパンたらターリラリ」などと女のケツを追い掛け回す輩の集まりで、この時にやったクラシックの曲は、ほとんどがクソ思い出と連動してしまった。特に嫌いになったのが、「大学祝典序曲」と「ロザムンデ」。この曲を聴くと今でも、エッチでいぢわるな人々を思い出す。(高校のトイレでやるな)しかし、いいこともあった。それはストラビンスキーを聴いたこと。オケではやってた。いやだったが、聴いたらスゴかった。「春の祭典」「火の鳥」は有名だが、「兵士の物語」や「プルチネルラ」、なんと初演はウディ・ハーマン楽団だった「エボニー協奏曲」など、活動的で魅力的な曲の数々。とりわけバレエ曲の「ペトリューシュカ」は原色の色彩感あふれる風景や、動物たち、村の人々の躍動などが、斬新なスコアリングにのって表現されており、クラシックの印象を一変させた。実際にスコアを分析したわけではないけれど、第1場「ロシアの踊り」冒頭のピアノなど、マネして弾いてみたりすると、反応するオケの連中もいた。ストラビンスキーの話しをしている分には、そういう連中もイヤにならない。
ストラビンスキーの革新性はやはり多彩な音響を並列的に配置した構成にあるだろう。19世紀の主役「旋律」を引き立たせる「伴奏」という構造から、「旋律」、「リズム」、「ハーモニー」、「音色」を分解、再構成し、旋律からハーモニーへの上位概念を取り払い、それぞれに今までと違う役割を与え、かつ、それらが同時にあたかも別々な動きをしているかのような自立、独立的な秩序をもたせたことに、20世紀的なその他のムーブメントとの連動性を感じる。「春の祭典」の弦の連打などは、リズムに主役の座を与え、次に音色>ハーモニーという構造を非反復的に連続させることで、躍動感を表現しているし、「ペトリューシュカ」の第1場なども、並列同時進行的に別のリズム、別のメロディ、別のハーモニーが独立して動き、それぞれが色彩を持って主張を許されている。それはもちろん、現代演劇の手法と連動しているのは言うまでもない。
森羅万象が決定論的な因果関係で結ばれていて、そこに神の畏敬があるとされた19世紀に対し、20世紀はすべての科学、文化が、事象を同時多発的に確率的に無秩序に無意識に起こりうるものとして認識しなおしたところから始まった。もちろん、それも間違いであったわけであるが。